ワシントン州オリンピック半島では、ピューマ(クーガー/Cougar)との共存を目指す長期研究「オリンピック・クーガー・プロジェクト(Olympic Cougar Project)」が進んでいます。

現地で活動するフィールド技術者のマット・マハン氏は、かつて家畜被害により捕食者を排除する側にいました。
しかし、学びと対話を通じて「守りながら共に生きる」立場へと転じたと語ります。
プロジェクトの概要と協働体制
本プロジェクトは、
- Panthera
- ローワー・エルワ・クララム族
- ポート・ギャンブル・スクララム族
- マカ族
- ジェームズタウン・スクララム族
- スココミッシュ族
- クイノールト・インディアン・ネイション
- ワシントン州運輸局(WSDOT)
による共同研究です。
目的は、オリンピック半島のピューマ個体群の生態(個体数・移動・生存)を解明し、遺伝的に隔離された個体群同士の連結性を確保すること。
先住民族コミュニティの知見を尊重し、科学と地域文化の両面から保全を進めています。
「心」を意味するピューマ、イェネウィスとの出会い

フィールドでマハン氏が出会ったのが、クララム語で「ハート(心)」を意味する名を持つ雌のピューマ、イェネウィス(Yenewis)。
マハン氏は、研究用の発信器でイェネウィスの行動圏を追跡する中で、
- 安全だと感じる場所や狩り場、道路を横断する経路
- 足跡やひっかき痕、寝床、捕食の痕跡
といったサインを読み解いていきました。
そして次第に、森をイェネウィスの視点で捉え、彼女の感覚で自然を理解する力を身につけていったのです。
子育ての記録と別れ

イェネウィスの観察は、オスとの接触から出産、子育てに至るまで続けられました。
授乳や毛づくろいなど、母子の親密な瞬間を記録する貴重な映像も数多く残されています。
しかし、自然の営みは常に厳しく、生まれた子猫のうち2頭は生後まもなく命を落としました。
それでも、イェネウィスは残された2頭を懸命に育て上げ、森の中でたくましく成長する姿が確認されました。
その矢先の6月、イェネウィスは国道104号線で車両と衝突し死亡しました。
事故現場は、彼女が日常的に通行していたルート上にあり、発見は事故からわずか1時間後のことでした。
残された生後4か月の子猫2頭は自力で生き延びるには幼すぎ、行方は確認されていません。
この出来事は、野生動物にとって道路がいかに大きな脅威であるかを示す象徴的な出来事となりました。
共存に向けた実践——家畜管理から学ぶ「共に生きる」方法
イェネウィスとの出会い、そして別れを経て、マハン氏の視点は「恐れ」から「共存」へと変わりました。
かつて家畜を守るために捕食者を排除していた彼は、いまや人と野生動物の両方を守るために、飼養環境そのものを見直す立場へと転じています。
その実践は多岐にわたります。
- 狩猟用カメラの設置による実態の可視化
- 飼養方法を改善し、家畜と野生動物の双方を守る仕組みづくり
- フェンスの種類ごとに捕食者の反応を調べる実験用畜舎の建設と研究
こうした取り組みを通じて、マハン氏は「守る」ではなく「共に生きる」ための具体的な方法を模索しています。
さらに、その知見を地域社会や一般の人々に広める教育・啓発活動にも力を注ぎ、
イェネウィスの教えを次世代へと伝え続けています。
生態系をつなぐワイルドライフ・クロッシングの整備
イェネウィスの死は、道路が野生動物にとってどれほど大きな脅威であるかをあらためて示す出来事でした。
もし国道104号線沿いに安全な通過ルート(ワイルドライフ・クロッシング)が設けられていたなら、彼女と子猫たちは命を落とさずに済んだかもしれません。
この悲劇が、現在の生息地連結と道路安全対策の強化を後押ししています。
こうした背景を受けて、オリンピック・クーガー・プロジェクトでは、道路によって分断された生息地を再びつなぐ取り組みを柱の一つとして進めています。
ピューマやシカなどの野生動物が安全に移動できるよう橋や地下道といった専用通路(ワイルドライフ・クロッシング)の設置を計画しています。
現在は、州間高速道路I-5回廊やワシントン州内の優先連結ルートを中心に、どの地点に施設を設ければ最も効果的に生態系をつなげられるかを科学的に分析しています。
イェネウィスの喪失が生んだ教訓が、いまや野生動物と人の安全を両立する新しいインフラづくりへとつながっているのです。
クーガーの生息域拡大と安定化

Pantheraは現在、北米を含む5つの主要拠点でピューマの個体群を安定化・増加させることを目標に掲げています。
各拠点を結ぶ生息地の連続性を確保し、およそ117万平方キロメートルにおよぶ生息域の拡大を目指す長期計画です。
この取り組みでは、科学的研究・道路インフラの整備・地域社会との協働を一体化し、分断された環境を再びつなぐ「生態系ネットワークの再構築」を進めています。
それは単なる保護活動ではなく、生きものと人間が共に暮らせる地域の再設計でもあります。
「森の心」を未来へ

イェネウィスは、オリンピック半島という風景の“心”として、人と自然をつなぐ存在でした。
彼女の不在によって森は少し静かになりましたが、その歩みと学びは、共存の実践として今も息づいています。
失われた命が教えてくれたのは、科学と文化、そしてインフラを結ぶ協働こそが未来を守る道だということ。
この教訓を胸に、Pantheraと地域社会は、森の鼓動を次の世代へと引き継ぐための取り組みを続けています。
Source: Panthera
Published: 2025-08-28
